自己否定がほどけると、出来事は脅威ではなくなる

自己否定がほどけると、出来事は脅威ではなくなる

みなさんは、こんにちは。

突然ですが、こんな経験をしたことはありませんか?

誰かの悪気のない言葉に傷つく。
なぜかその人に対してだけ、いつも怒りが湧く。
ある特定の状況になると、モヤモヤしてしまう。

くりちゃん

私は全部あります

でも、自己対話を続ける中で、こんなことに気づきました。

それは、人や出来事そのものが私を揺らしていたのではなかったんだなぁ、ということです。

揺れていたのは、出来事そのものではなく、その出来事に対して瞬時に立ち上がる「意味付け」が、心の奥にあった“自己否定している部分”に触れてしまっていたからでした。

出来事が、自分の価値を揺るがす“脅威”として感じられていたのです。

でも、その自己否定をほどくと、出来事がもう脅威ではなくなり、感情としての反応も起きなくなっていきました。

今回は、

  • なぜ人は出来事に反応するのか
  • 以前私が持っていた自己否定がどのようにほどけていったのか
  • そしてそれによって出来事への反応がどのように変わったのか

を、ひとつの体験の記録として整理してみます。

少しでも同じような揺れを感じたことがある方の、心の整理のヒントになれば嬉しいです。

〈 もくじ 〉

なぜ出来事に反応するのか|意味付けの仕組み

人は、もともと自然と「意味付け」つまり解釈をしながら生きています。

これは、人間のサバイバル機能と言っても良いかもしれません。

例えば、
  • 作物が枯れそうだ → 危ない → 水を探す
  • お腹が急に痛い → このままではまずい → 病院に行く

生死に関わる状況で働いてきたこの仕組みが、日常の場面でもそのまま発動します。

例えば、
  • 「考えすぎ」と言われる → 私の感性は間違っているのかも
  • 上司に怒られる → 私のこと嫌いなのかも

ちょっと極端な例かもしれませんが、客観的に見ると「事実とは限らないよね」と思えることでも、本人にとっては“事実そのもの”のように感じられます。

くりちゃん

世界の出来事は、本来はニュートラルです。それでも人が意味をつくるのは、安心したいからかもしれません。

私自身も意味付けをよくしてしまうタイプですが、最近は「意味付けそのものが悪いわけではない」と感じています。

なぜなら、私たちが世界を理解しながら生きるための自然な働きでもあるからです。「意味付け」によって人生は豊かにもなりますし、行動の原動力にもなりますよね🌱

大事なのは、その意味に飲み込まれてしまうのか、それとも距離を置いて眺められるのかということなのかもしれません。

意図的に意味を変えるリフレーミング

「脳は書き換えられる」という話を聞いたことがある方も多いかもしれません。

リフレーミングは、ネガティブな解釈を意図的に調整するための方法で、認知行動療法の中でもよく使われる手法のひとつです。

例えば、前の章の意味付けをリフレーミングしてみると
  • 「考えすぎ」と言われる → 私の感性は間違っているのかも
    → “心配して言っただけ”かも
  • 上司に怒られる → 私のこと嫌いなのかも
    → ただ“仕事の指摘”をされただけかも

私自身も、以前メンタルが落ちていた頃、この方法にとても助けられました。

意識的に頭を切り替えることで、

  • 一旦感情が落ち着く
  • 視野が広がる

といった効果がありました。

感情や思考の渦に飲み込まれそうなとき、言葉の力で“意味”を調整することで、いったん安全地帯へ自分を呼び戻すことができます。

私にとっては、大切な「危機回避」の方法でした。

くりちゃん

このように「思考」レベルで、意味の書き換えをする方法を繰り返し行うと、反応の癖や脳の回路が少しずつ変わっていくとも言われています。すごいですよね〜

ただ、自己対話や自己受容を続ける中で、最近、これとは少し違う変化を感じるようになってきました。

無意識の意味付けがほどけたとき|私の変化のプロセス

ここからは、私の実体験を織り交ぜてお話ししていきます。

自己対話(内観・内省)をしていく中で、リフレーミングとは少し違う「意味の変化」が起こり始めました。

それが、冒頭で触れた「自己否定を解くと、出来事は脅威ではなくなる」につながります。

📚 自己対話の柱である内観と内省の違いについてはこちらから読めます

なぜかイラっとする状況

私は以前、

  • 感情抜きで戦略的に生きる人
  • 人生を合理性だけで判断する人
  • それを「みんなそうすべき」という前提で話す人

に出会うと、なぜか傷付くというか、イラッとすることがよくありました。「私は見下されてるのかな…?」と感じることさえありました。

当時確かに、自分は戦略や合理性だけでは生きない人で、それができない人だとも思っていて。

そのときは、「私は私のやり方でいい」と思いながら、なんとか気持ちを整えて過ごしていたのですが…

ただ、どこかに引っ掛かりやモヤモヤは残っていました。

反応の裏側にあった”ほんとうの自分”

段々とその経験やモヤモヤが積み重なり、無視できないほど強くなってきたんですね。

よし、しっかり向き合ってみようと、自己対話で内側をのぞいてみると、こんな発見がありました。

つまり、自分は別に戦略的・合理的に動けない人だったわけではなく、内側ではまったく違う法則で動いていたのだと気づいたんですね。

そして、

  • 合理性より本質や意味を重視している人
  • 意味を感じられていれば、戦略的にも動ける人

でした。

そして、ここで大きな疑問が残りました。

では、なぜ私はそこまで外側の出来事に対して反応していたのか?

なぜ戦略性だけで動く人を見ると、心がざわついていたのでしょうか?

痛みの正体は自己否定だった

それは、「戦略性だけで生きられない自分」を自分で否定していたからでした。

「頭ではわかっているのに、どうしても動けない自分」を、どこかでダメだと思っていた。
「本質をより大事にする自分」を、不器用だとジャッジしていた。

だから、その部分に触れられる出来事があると、痛かった。

そこで、ようやく理解できました。

その人や出来事が脅威だったのではなく、自己否定が脅威を作っていたんですね。

内側のタブーな領域と痛み

どういうことかというと、人は、自分の中で「触れられたくない」と感じている部分ほど、神経が過敏になるそうです。

例えば、

  • 弱さだと思って隠している部分
  • 劣っていると感じている部分
  • どうにか矯正しなきゃと思っている部分

これらは内側でタブー領域みたいになっていて、そこに誰かが触れると、脳は「ここを突かれたら、私は存在が危ないかもしれない」と判断して、自分を守ろうとします。

ここには、無意識レベルで強く結びついた「意味付け」が潜んでいるのだと思います。
だからこそ、そこを触れられると、心は全力で自分を守ろうとする。

あの痛みは“心が自分を守ろうとしたサイン”でもあったんですね。

自分との和解|自己否定がほどけた瞬間

ここで見えたのは、問題は「できない自分」でも「イラッとする自分」でもなく、その自分を私自身が否定していたことでした。

「それが私なんだな」と認めて、「不器用でもいいよね」と受け入れてみて、本質を重視する自分を、そのままOKにしてみる。

すると、いつの間にか気づいたら、戦略的な人に触れても心が揺れず、痛みとしての反応が現れなくなっていました。

戦略も大事だし、戦略の使い方は人それぞれ。良い悪いではなく、「ただの違い」として見えるようになったんですね。

意味が変わったというよりは、無意識にしていた意味付けがほどけ、物事の“見え方そのもの”が、内側から変わったという感覚です。

📚 自己受容と自己肯定感の違いについてまとめた記事はこちら

整理|2つの「意味の書き換え」

「意味の書き換え」には、今回触れたように大きくふたつの流れがあります。

一つ目は、表面の“見方”を自分で調整していく方法。二つ目は、内側で固まっていた“無意識の意味付けそのもの”が解けていくプロセスです。

くりちゃん

どちらも「意味が変わる」「ものの見方が変わる」という点では同じですが、働くレイヤーが少し違います。

一つ目の効果としては 「今の自分を助ける」「短期的な回復」 が強いと感じます。二つ目は、「長期的」「根本的」「再発しないタイプの変化」 になりやすいと思っています。

人によって、また人生のタイミングによって、必要になる流れは変わってくるのかもしれません🌱

まとめ|自分は変わる、変えられる

ここまで、私の体験も踏まえながら、「意味付け」と絡めてお話ししてきました。

人は、多かれ少なかれ「意味付け」をしながら生きています。その意味付けという機能が、時に私たちを苦しませながら、また人生を豊かにしています。

出来事自体には本来意味はなくても、私たちはそこに自由に意味を見出すことができる。
そして、その“見方”が変われば、内側の世界も変わり、自然と人も変わっていく。

人は、いつからでも変わっていけるのだと思います。

もし、今どうしても自分に向き合わないといけないと感じている方がいらっしゃったら、「無意識の意味付け」をほどいてみると、見えてくるものがあるかもしれません。

この記事が、何かのヒントになると嬉しいです。

それでは、また次回の記事でお会いしましょ〜🍵

〈 今回の記事のまとめ 〉
  • 出来事ではなく、瞬時の意味付けが心を揺らす
  • その意味付けが自己否定に触れると痛みが生まれる
  • 意図的に見方を変える「リフレーミング」と、無意識の意味がほどける“自己受容”は少し別のプロセス
  • 自己否定がほどけると、出来事は脅威ではなくなる
  • 内側がニュートラルになると、世界はただ“そのまま”に見える
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くりちゃん

ブログ・自己対話セッション運営
神奈川県出身、現在は韓国在住。
ブログ「こころの時間」など月1~4回、更新しています。

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