「何者か」になろうとしていた私|アイデンティティへの同一化

アイデンティティの同一化に気づいた体験記事のサムネイル

スイカに塩をかける人も、かけない人も、みなさんこんにちは。
今年はまだスイカを食べていなくて、今日こそは買って食べようと思っています。

みなさんはスイカ、ひと夏で何玉食べますか?
私の母親は、今年もう4玉食べたそうです。(いらん情報)

今回は、ちょっとうまく書けるかわからないんですが、「外側のアイデンティティに自分を合わせにいってしんどくなっていた話」です。

〈 もくじ 〉

アイデンティティ|その役割の理想像

どういうことなんだい、という感じなんですが。

例えば、
「社会人としてしっかりしなきゃ」
「良い母親にならなきゃ」
「学生なんだから勉強しなきゃ」
「仕事ができる人にならなきゃ」

のように、その社会的アイデンティや役割の理想像のようにならなきゃって無意識に思っていることありませんか?

社会人とはこういうものだ。
お母さんとはこういうものだ。

みたいに、みなさんの中にそのアイデンティの中に、「理想」もしくは「こうあるべき姿」があるのではないでしょうか。

そこを目指していくことは、モチベーションにもなるし、達成感も得られたりして、良い面ももちろんあります。

生きる目的になることもありますよね🌱

でも一方で、その理想に近づこうと自分の気持ちを押し殺して無理をしたり、理想を生きてるのになんか苦しさを感じることもあるかもしれません。

私は、最近「くりちゃんとお茶しよ」という自分で作り上げたアイデンティに対して、いつの間にか固執してちょっと辛くなっていたことに気づきました。

好きで始めたことが、アイデンティティになったとき

「くりちゃんとお茶しよ」って、完全に好きで始めたことなんですよね。

書くことは好きだし、書きたい。
そして、自分の体験や言葉がいつか誰かの役に立つかもしれない。

個人セッションも、いつも誰かの話や悩みを聴くのが好きで、自分を助けてくれたタロットや占星術を使って、他の人の人生を応援できるのが喜び。これはやりたい。

という自分の内側から純粋に湧いた想いで始めたんです。

「アイデンティティに縛られる」とはこういうことか

でも、日々生きているといつの間にか、「くりちゃんとお茶しよ」というアイデンティに自分を同一化させようとしていました。

どういうことかというと、「くりちゃんとお茶しよ」のこうでなきゃという理想像に合わせるために、「行動」していたんですね。

例えば具体的なのをひとつ挙げるとすると、SNSで週2~3回投稿すると決めていたこと。

なんか自分の中で違和感があったり、やる気が出なかったりする時にも、「くりちゃんとお茶しよ」はこの頻度で更新しなきゃ、と思い込んでいて、ちょっとだけ無理して投稿する。

そうすると、なんかしんどくなる。

でも、「くりちゃんとお茶しよ」っていうアイデンティティが、いつの間にか自分の大部分を占めるようになって、このリズムを崩すと、自分の存在意義を脅かすようにも感じられたんです。

アイデンティティの同一化とは?|本当は何者でなくてもいい

このアイデンティティへの同一化は、真面目で感受性が高く、人の期待を敏感に感じる人ほど、起きやすいそうです。

ちなみにアイデンティティは、仏教で言う「自我」に含まれますね。

何者でもなくなるのって、わたしたちにとって結構怖いことなんですよね。
自分の存在意義がなくなるようで。

でも、本当は、何者でもなくてもいいですよ。
在るだけでいい。

それが根底にはある思えると、体も心も安心できて、自然とまたエネルギーが内側から湧いてきます。

アイデンティティを問うてみる

好きで始めたことも、生きているといつの間にか「自分の存在意義」になっている。
本当のことって、誰でも、生きてると自然と忘れちゃうもの。

社会人、母親、父親、会社員、社長、課長、大人…

決して社会的アイデンティティを持つことが悪いと言っているわけではなく、
そのアイデンティティに固執していないか?
そのアイデンティティがないと、自分には価値がないと思っていないか?

という視点を持つと、心が軽くなる発見があるかもしれないということです。

人は、存在意義という幻想にしがみつこうとしてしまうと、苦しみが生まれるのかもしれないと思いました。

そしてそれもまた、自分の内側からの「ちょっとズレてるぞ〜」のサイン。

何かをやめても、人生は続いていく

別に「くりちゃんとお茶しよ」を辞めても、このブログを消しても、私は私のままで在り続けます。

何かを続けていなくても、表立って誰かの役に立っていなくても、自分の根底の価値は、何も変わりません。

え、じゃあ、誰かの命が関わるものに携わっている場合はどうするんですか?という声が聞こえてきそうです。

もちろん、命に関わる仕事や、大切な責任を担っている人もいると思います。すぐに放棄ができないものだからこそ、「自分がやっていること」と「自分そのもの」の境界を見失わないことが、大切なのかもしれません。

その役割が自分を支配してないか?

と自分に聞いてみてください🌱

アイデンティティや役割にしがみつかず、でも在ることを選ぶ。

そんな在り方が、結果的に誰かの支えになる気がしています。

まとめ|アイデンティティを肩からおろしてみた

ということで、そんなことを考えたというお話でした。
で?っていう案件なんですけど笑

あ、で、結局、このことに気付いた私は、一旦「くりちゃんとお茶しよ」を肩から降ろして、お休みしました🏝️

何事も、うまくいく時もあれば、いかない時もある。
うまくいく時は素直に喜んで、うまくいかない時は受け入れてそれもまた味わう。
それでいいんだと思います。

そんなこんなしているうちに、自分が整って、また内側からやる気が湧いてきました。

そして、更新頻度や自分ルールも無理がないものに調整しました。

よかったよかった。

ちょっとまとまってない気もしますが、今回も読んでくださりありがとうございました。

みなさんも夏バテに気をつけてお過ごしください🍧

また次回の記事でお会いしましょう〜🍵

📚 1ヶ月後、このアイデンティティと向き合った記録はこちらから読めます

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プロフィール写真

くりちゃん|自己対話ガイド

ブログ・自己対話セッションサービス運営
神奈川県出身、現在は韓国在住。
ブログ「こころの時間」を毎週土曜日9時に更新中。

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