みなさん、こんにちは。
十牛図ひとつ目の記事では、十牛図の全体像を一緒に眺めました。
そこから、
「私は、今どのフェーズにいるんだろう?」
「それぞれのフェーズは、実際にどんな感覚なんだろう?」
そんな疑問が浮かんできた方もいるかもしれません。
前提として、十牛図は「生き方の正解」を教えてくれるものではありません。
むしろ、
今この瞬間、自分の内側で何が起きているかに気づくための視点
を与えてくれるものだと、私は感じています。
この記事では、十牛図の各フェーズをもう少し体感的に眺めながら、自分と対話するためのヒントとして整理していきます。
答えを出そうとしなくて大丈夫です。
一度立ち止まり、今の自分の感覚を、そっと見つめてみる。
そんな時間になれば嬉しいです。
📚 もし、「十牛図の全体像を整理」したこちらの記事をまだ読んでいなければ、先に眺めておくと読み進めやすいです
十牛図を「現代のこころの旅」として読む視点
Part1と同様にこの記事でも、「牛 = 自分らしさ」として読んでいきます。
十牛図は、その人の環境や人生のタイミング、そして心の状態で、まったく違う表情を見せます。
ここでは「仏教として正しく読む」ことよりも、ひとりの人間の、こころの旅として読むという視点を大切にしてみてください。
この先に出てくる各図は、
「今の自分には、どう映るだろう?」
そんな問いを持ちながら眺めてもらえたら十分です。
各フェーズを簡潔にまとめた画像を置いておきますので、良かったら、意味を考えすぎずに眺めてみてください。










①〜③ 迷いから気づきへ|尋牛・見跡・見牛
まず読んでみるのが、十牛図最初の3枚です。
問いが生まれ、違和感に気づき、大切な感覚が見え始める。
誰もが自分ごととして感じやすいフェーズです。
① 尋牛(じんぎゅう)|牛を探しに旅立つ

生きている中で、どこかズレや、違和感、生きづらさを感じている。
でも“自分らしさ”というものがぼんやりとしていて、まだ掴めていない。
「本当の私ってなんだろう?」
「人生の意味ってなんだろう?」
「やりたいことってなんだろう?」
「このままでいいのかな?」
そんな疑問が湧いてきて、自身にとっての「牛」を探しに行くタイミングです。
牛を探し始めることは、本質的には「自分の内側」に目を向け始めることを指しています。
「自己対話の始まり」と言っても良いかもしれません。
- 最近、なぜか引っかかっている出来事や言葉はある?
- 「違う気がする」と感じているのに、言葉にできていないことは何だろう?
- 今の生活の中で、無理に納得しようとしていることはある?
- もし「変えなくていい」としたら、何をそのまま感じてみたい?
② 見跡(けんせき)|牛の足跡を発見する

自分の内側に目を向けたことで、少しずつ「自分らしさ」のヒントを見つけていくのがこの段階。
「すごく胸がザワザワした」
「心地よさや安心を感じるな」
こんな風に、少しずつ自分の内側にあるもののヒントを拾えるようになっていきます。
ヒントとなるものは、こんなものがあります。
- 体の反応(呼吸が浅い、胸のざわつきなど)
- 感情(怒り、喜び、悲しみなど)
- 思考(すべき思考、同じことをずっと考えているなど)
このフェーズでは、内観がとても大切です。
自分の内側の感覚に気づき、良い悪いでジャッジせずに観察する姿勢が育ちます。
この段階では「内観」が中心ですが、ふと振り返りたくなることがあっても自然です。
- 最近、感情や体の反応が強く動いた瞬間はいつだった?
- あの出来事があった時、体のどこにどんな感覚があった?
- 言葉にしようとするとしたら、どんな擬音やイメージになる?
- 今、目を閉じると体の中で緊張している部分はどこだろう?
📚 「気持ちを言葉にする方法」はこちらの記事で読めます
③ 見牛(けんぎゅう)|牛の一部が見える

自分の内側で起きていることに目を向け、把握することで、より「自分らしさ」の輪郭が見えてきます。
「社会の基準で判断していたかも」
「あれは自分の思い込みだったかもしれない」
「本当はこうしたかった」
「私はこれがものすごく大切にしていることだ」
見跡(けんせき)ではバラバラのピースで見えていたものが、腹落ち感を伴いながら、少しずつ見えてくる、でもまだ全体像は掴めていない。そんなフェーズです。
ここでは内観に加え、内省が役立ちます。
感情や思考をヒントに、これまでの出来事を振り返り、自分のパターンや思い込み、本音などを見つけていきます。
ここでも、良い悪いで判断しないことが大切です。すると、自然と自己理解と自己受容が少しずつ育っていきます。
- 同じ場面で、何度も似た反応をしていることはある?
- これは、私の本音?それとも誰かの期待?
- それを「良い・悪い」と判断するとしたら、どんな言葉を使ってる?
- もし、期待していた結果になっていたとしたら、それはどんなものだった?
📚 「内観と内省の違い」はこちらの記事でまとめています
④〜⑥ 「自分らしさ」と共に生きる|得牛・牧牛・騎牛帰家
次の3枚は、これまで片鱗としてしか見えていなかった「自分らしさ」の全体像を掴み、受け入れ、行動に反映していく過程です。
④ 得牛(とくぎゅう)|牛をとらえる

牛を得る。
つまり、「自分らしさ」をつかむフェーズを描いたのが第四図です。
「私にはこれは心地よいけど、これは無理が出やすいね」
「私はこういう性質のある人間なんだな」
「私はこういう世界の見方をしているんだな」
自分が、どういう性質や価値観を持ち、パターンや構造の全体像を理解している状態です。
それは自己理解が深まったとも言えます。
ただ、このフェーズは「自分はこういう人間だから」と、行動や思考を狭めやすい時期でもあります。
大切なのは、「自分らしさ」は固定されたものではない、という視点です。
なぜなら、環境の変化や自己理解の深まりによって、価値観は更新され、削ぎ落とされていくからです。
「今の自分は、ひとつの途中の形」
「自分らしさは、変わりながら深まっていくもの」
そう捉えていると、固定された自分像に縛られにくくなるかもしれません。
- その「自分らしさ」に合わせようとして、無理をしている場面はないかな?
- この「自分らしさ」は理想?それとも等身大?
- その理解は、心地よい?それとも私を少し窮屈にさせる?
- この「自分らしさ」は、体からのサインが静かで穏やかかな?
📚 アイデンティティに同一化しようとしていた時の記録はこちら
⑤ 牧牛(ぼくぎゅう)|牛を飼いならす

この図では「自分らしさ」の軸が安定し、そばにいるようになります。
でも、放っておくと、いつの間にか草を食べに行ったり、別の方向へ行ってしまう。
ときどき、手綱で「こっちだよ」と引き戻す必要があります。
「自分らしい選択や行動ができる時もあるし、気づくとズレている時もあるね」
「気づいたら前のパターンに戻っていたな」
自分らしく生きる練習、調整、習慣化の途中。そんな表現がぴったりかもしれません。
気づかないうちに、いつの間にかズレていくこともありますが、「気づく力」を育てている途中でもあります。
気づけた時は、「まあズレちゃうよね、そういうものだよね」くらいの心の軽さで大丈夫です。
大切なのは、「ズレに気づいてあげられる自分」でいること。
この段階にいる方は、すでに内観や内省の自己対話を通して、体のサインに気づく力があるはずです。
ズレても、戻ってこられる。
だから、ズレたら調整すればいい。
そうして、少しずつ自分との付き合い方を学び、自己信頼を積み上げていくフェーズなんですね。
- 最近、「あ、今ズレてたな」と気づいた瞬間はあった?
- そのとき、体はどんなサインを出していた?
- 最近、自分の内側に目を向けることを、後回しにしていないかな?
- うまく行ってるはずなのに、違和感や疲労感を見ないふりしてないかな?
⑥ 騎牛帰家(きぎゅうきか)|牛に乗って帰る


このフェーズでは、楽しく笛を吹いていても、牛は一緒に歩んでくれます。
手綱を掴む必要はもうありません。
「最近は、自然と自分らしく生きられているかも」
「振り返ってみると、外側に振り回されることが減ったなぁ」
「そういえば、自分を見失わなくなったなぁ」
と、意識しなくても「自分らしく生きられている」状態です。
逆に、自分らしくない生き方をしようとすると、違和感が出やすくなる フェーズかもしれません。
自己理解や自己受容、そして自分への信頼が、
意識しなくても日常を支えている状態。
ちなみに「家」が示す場所は、「戻れる内側の基点」と言えます。
それはきっと「こころの中にあるホームのような場所」ですね。
そこに、自然に牛と帰って行く様子が描かれています。
「帰っていく」と言う表現が良いですよね。
実は誰もがすでに「家」を内側に持っているということが示唆されます。
この状態を一言で言うと、自分らしさと調和した人生が、うまく回っている。
でも、このフェーズがまだ第六図であるというのが、十牛図の面白いところでもあります。
- 最近、「考える前に自然と選んでいた」行動はあった?
- 無理をしていないのに、物事が進んでいた場面はあった?
- 以前なら迷っていた選択が、すっと決まったことはある?
- もし「今は整っているな」と感じるとしたら、体のどこが一番静かかな?
⑦〜⑧「自分らしさ」を超えていく|忘牛存人・人牛倶忘
ここからは、「第六図までにせっかく内側が整ったのに?」という、その先のお話です。
もう、牛は登場しません。
あれだけ追っていた「自分らしさ」から自由になっていくフェーズです。
第七図以降は、不思議と「言葉にすること」ができない領域でもあるんですね。
そのため、少し抽象的になるかもしれません。
⑦ 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)|牛を忘れ、人が残る


この図では、3つの大事な象徴が描かれています。
① 庵(いおり)
② 外を眺めている自分
③ 姿を消した牛の痕跡
庵から外を眺めている様子が描かれていますが、この庵は「内側の静けさ」を象徴していると言われています。
内側に安定した“居場所”ができた上で、外側の世界をそのまま眺めている自分がいます。
いなくなった牛は、庵の外側にいたようです。
つまり、牛=「自分らしさ」は、
- 社会の中でどう生きるか
- 何が合うか / 合わないか
- どう選択して振る舞うか
と、すべて「外側の世界との接点の中」で定義されているものだったんですね。
いつの間にか「自分らしさ」が消えているのに、気にせずそこにいるのは、もう定義する必要がなくなった状態と言って良いかもしれません。
これは、世界から距離を取ることでも、人との関わりをやめることでもありません。
相変わらず日常を生き、感情もあります。
でもどこか、一歩引いた視点で外の世界を眺めている、そんな感覚です。
⑧ 人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)|人も牛も忘れる


シンプルな円が描かれたこの図は、これまでの物語とは異質のものですよね。
この図が示しているものは、「分かれていない」という一点です。
それは、「何かを理解するために線を引く必要がなくなった」という状態でもあります。
円は、
- 境界線がない
- 上下も左右もない
- 対立が成立しない
つまり、「どこから見ても、同じ」です。
図では円として描かれていますが、感覚としては「球体」を想像すると、しっくりくる人もいるかもしれません。
第七図までは、「良い / 悪い」「合う / 合わない」「自分 / 世界」という「区別」が世界を認識する基礎でした。
そこで描かれていた「外の世界を見ている自分」さえ、世界と分けなくなる意識が第八図では表現されています。
「ここまでが私」「ここからが世界」という区切りが意味を持たず、全ての境界線が溶けていく。
それは、「最初から分かれていなかったことに気づく」感覚に近いのかもしれません。
⑨〜⑩日常へ戻って生きる|返本還源・入鄽垂手
ここからは、抽象的な話から、少し日常に視点が戻っていきます。
ここまで読み進めると、「後半のフェーズに進むほど、すごい」「尊い」と感じる方もいるかもしれません。
正直に言うと、私自身もそう感じていました。
でも今は、どのフェーズにも優劣や上下はない、という視点もとても大切だと感じています。
迷っている時にも、気づきの途中にいる時にも、日常を生きている時にも、そのどれもが等しく尊い。
ただ一方で、こころの旅を通ることで、世界の見え方や、苦しみとの距離が変わるのも事実です。
十牛図が描いているのは、「上に行くこと」ではなく、「見える景色が変わっていくこと」なのかもしれません。
⑨ 返本還源(へんぽんかんげん)|根源に還る


「世界は分かれていない」という実感を持って、ふと自分や周りにまた目線を向けてみると、気づくはずです。
この大きな循環の中での「純粋ないのちとしての自分」がいること。
自分自身が、自然やいのち全体(根源)、世界の一部であるということ。
それがわたしたちの「原点」であり、自然の風景として描かれています。
木々や花、川や鳥。
そして、今座っている椅子やお茶の入ったカップも含めて。
深いところで腑に落ちると、人はこころの奥に根源的な安心感”のようなもの”を持つようになるのかもしれません。(おそらく、ここは言葉にした瞬間にズレるものですが)
想像してみると、こころが少し穏やかになって、自然と肩の力が抜ける気がしませんか?
それが本当の意味での「自然体」なのかもしれません。
⑩ 入鄽垂手(にってんすいしゅ)|日常を生きる


それでは、いよいよ最後の図です。
これまでの旅を経て、また人里に戻る姿が描かれています。
「垂手」というのは「手を垂れる」。
つまり、何かを掴もうとしない、支配しない、教え諭そうとしない、そんな意味があります。
色々な解釈ができる部分ではありますが、私が一番感じることは、全てを経た上で「ありのままで生きていこう」という、どこか自然と肩の力が抜けた感覚です。
社会に戻り、人と関わって生きていけば、きっと人生のアップダウンはあるでしょう。
こころが揺れることもあるかもしれません。
でも、自分の内側には「戻れる場所」がいつもある。
そんな「何かが起きても、揺らがない在り方」が内側にあると、世界の見え方は中庸で、かつ温かいものなのではないかなぁと思います。
実際問題、この在り方で現代社会を生きていくこともまたかなりのチャレンジな気もします…。
🌱 十牛図の後の旅は、そんな「戻れる場所」と共に、日常を自然体で誠実に生きながら、他の人や社会と関わりながら学びを循環させていくものなのかもしれません。
「本来の自己」とは何だったのか
この記事では、わかりやすいように、「牛 = 自分らしさ」として読んできました。
もともと牛は「本来の自己」として解釈されることが一般的です。
ここまで読まれた方は、第七図で示されているように、「牛」は少なくとも最終的な意味での「本来の自己」ではなかったと感じられたかもしれません。
本来の自己 = 自分らしさ・社会的な役割としての自己 = 牛
↓
もともとはすべては「区別」がないものだと気づく
↓
本来の自己 = 世界の一部であり、区別のない自然体の自己
外ではなく内にある
人が「本当の自分」として追い求めているものは、実は、社会や人間関係や目に見える成果と結び付けられていることが多いです。
それは、
アイデンティティだったり、
キャリアや社会的成功、
社会的役割など、
人によって違いますが、人間社会で助け合って生きていくためには必要なことでもあります。
十牛図は、そうした「自分らしさ」が、わたしたちの「世界を区別で理解する仕組み」から生まれたものであり、本質そのものではないことを教えてくれます。
しかし、「本来の自己」を追い求めてその自分を生きてこそ、人は学び、人生を味わい、手放せるのかもしれません。
だからこそ、そこまでの段階が丁寧に7枚も使って描かれています。
ここで、大切なのは「外」ではなく「内」に目を向けてみること。
その時に初めて、人は本当の意味で見つけることができるのだと思います。
まとめ|こころの旅を歩んでみる
十牛図をこうして読み返してみると、私たちは、日常の中ですでに「自分に問いかけている瞬間」が何度もあったことに気づきます。
迷った時、つらい時、もうダメかもしれないと思った時。
逆に、何か嬉しい気づきがあった時。
よかったら一旦立ち止まって、十牛図を見返してみてください。
あなたが通る「こころの旅」が、何百年も前に描かれています。
そして、自分自身に向き合って、ちょっと聞いてみる。
きっと、内側にはもう答えやヒントがあるはずです🌱
それは「足跡」としてかすかに見えるだけかもしれないし、いきなり全体像が見えるかもしれない。
でも、そんなふうに十牛図をガイドマップとして使ってみると、自分は「一人ではないこと」をふと思い出させてくれます。
それでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。
また次回の記事でお会いしましょう〜🍵
- 十牛図は、生き方の正解ではなく、今の内側に気づくための地図
- 牛(自分らしさ)を追う過程は、自己理解と自己受容が深まる道のり
- 自分らしさは固定されず、経験とともに変化していくもの
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くりちゃん
ブログ・自己対話セッション運営
神奈川県出身、現在は韓国在住。
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