反応して生きるのを、やめた一年|2025年を振り返って

反応して生きるのを、やめた一年|2025年を振り返って

みなさん、こんにちは。

2025年最後の「こころの時間」です。
今回は、この1年を振り返って、いちばん大きかった変化について書いてみようと思います。

2025年は、わたしにとって、人生の中でも特別な一年でした。

良いことだけが起こった年、という意味ではありません。
仕事の問題も、葛藤も、失敗も、健康問題もありました。

それでも、振り返ってみると、これほど深く自分と向き合い、生き方そのものがまるっと変わった年はなかったなと思います。

この変化の土台にあったのは、1年間、自己対話(内観・内省)を繰り返し続けたことでした。

気づけば、現実に反応して生きるのではなく、「在り方」を起点に選び、行動する感覚が、自然なものになっていました。

今日は、その変化を、わたし自身の実感と、起きた事実をもとに、静かに振り返ってみたいと思います。

〈 もくじ 〉

この一年で起きた変化の実感

この1年で、大きく変化を実感したのはこの2つかなと思います。

反応しなくなったこと

一つ目は、出来事に過剰に反応しなくなったということです。

以前は、何か嫌なことが出来事が起こるたびに、怒りや不満の感情が、ほぼ反射的に湧き起こっていました。

そういう感情を感じる自分にも否定的で、それが自己否定を助長していたと思います。

今は、それらの反応が起こらないままに、通り過ぎることがかなり多くなりました🌱

反応しない=感情を抑えることではなく、そもそも、同じような出来事があっても、感情が湧かなくなり、気にならない、あるいは気づかないことが増えました。

特に怒りや不満については、以前との違いをはっきりと体感しています。

あ、ただ、ここでちょっと説明は難しいんですが、こういった感情自体はない方がいいというわけではなく、ある時は、あっていいと思っています。

それは自分の奥底からの大切なサインですから。

ここでは、あくまで反応が減ったという事実をお伝えしたいだけです。

確かに、反応が減ることで、心は静かになります。

📚 そこに至るまでやっていたことはこれです

意味づけは止まらなかった。ただ、向きが変わった

二つ目は、意味づけの方向。

私はもともと、一つの物事について黙々と考え続けることが自然で、抽象と具体を行き来しながら、出来事から概念へと思考のジャンプが起きるのが当たり前でした。

出来事への意味づけも、常にフル稼働しているような認知特性を持っています。
むしろそれが楽しく、それがないと心が死ぬ感じです。

そのため、自分のベースが自己否定だった頃や、世界に対して安心を感じられていなかった頃は、不安を埋めるため、外側から自分を守るための意味づけを無意識に行っていたのだと思います。

でも、この1年を通して、自己受容や自己理解が深まったことで、意味づけの土台そのものが変わりました。

その結果、意味づけも、後退や自己否定のためではなく、前に進むための理解へと向かうようになっていったのだと思います。

「考えすぎる自分を直した」のではなく、考える力の使い道が変わった感覚があります。

📚 問いを内面に向けたものにしてみたことが大きいです

では、いったい何が変わったのか

では、具体的に何が変わったのでしょうか?

自己対話(内観・内省)を通して、出来事を見る立ち位置そのものが変わったことが大きいと思います。

自分を観察する視点が、日常に根づいた

感情・思考・身体感覚を、そのまま飲み込まれずに観察できるようになったことです。

自分は今、こう考えている。 今、こう感じている。

そうやって、一歩引いた位置から自分を見る視点が、特別なときだけでなく、日常の中に常にある状態になりました。

感情が湧いたら、反応する前に気づく。 そして、少し外から眺めてみる。

この「メタ認知的な観察」が、意識しなくても起動するようになってきた感覚があります。

📚 メタ認知についてまとめた記事はこちら

立ち位置が変わったことで、世界の見え方が変わった

そして、感情や思考や身体感覚をヒントに、自己対話で自分自身の奥底まで潜り、直視し、受け入れた。

その過程で、どんな自分も受容しながら、でも甘やかしすぎるわけでもない、そんなバランス感覚を身につけていきました。

やがて、根拠のない「安心感」というか「こころの平穏」がいつも根底にあるように変わっていきました。

そこは、どんな時でも「自分が戻れる場所」になっていきました。

この戻れる場所があると、不思議ですが、目の前に広がる世界がだんだんと「美しいもの」「輝いたもの」に変わっていきます。

自分の世界の見え方が根本からアップデートされたのだと思います。

ちなみに、こころの揺れや、不安、怖さが全くなくなるというわけではありません。

その感情の根底に、温かく揺るがない何か土台のものがある感覚です。

決める基準が、「在り方」に切り替わった

ものの見方が変わったことで、これまでやっていた判断の基準も変わっていきました。

これまでは、例えばこんな感じでした。

それが、こう変わりました。

「在り方」との整合性ってどんな感覚かというと、「しっくり」という言葉がいちばん近いかもしれません。

頭の中で正解・不正解で判断するものではなく、自分の内側に照らして確かめる感覚なんだと思います。

これは、本来、誰もが感覚として持っているものなんですよね。

📚 「在り方」をBeingという視点で考察してみました

ここに来れた理由は、とても地味な反復だった

この変化は、一度の気づきで起きたわけではありません。

最初は、同じパターンに戻ったり、同じ感情に何度も飲まれながら、それでも対話をやめずに戻り続ける。

そんな、かなり地味で根気のいる反復でした。

たぶん、この一年で、数千回は自分の内面に向けた問いを立てたと思います。

そのたびに、自分の奥底にあるものに到達するところまで、掘り続けていきました。

自分の底にたどり着くまでには、執着や恨み、妬みといった、人間のいちばん泥っぽい部分を通る必要がありました。

それらを直視して、ほどいて、ひとつずつ手放していくような感覚です。

でも、その根底にあるものは、とても純粋で、原初的な衝動でした。

私は、人は誰しも、そんな純粋な衝動を奥底に持っているのではないかと感じています。

それがその人の「在り方」の根源でもあります。

戻れる場所が、体に馴染んだ感覚

最近は、そんな「戻れる場所」「在り方」が、体に馴染んできた感覚があります。

「まず自分に戻る」が、初動になった

これまでは、全てとは言いませんが、現実に起きたことに対して反応し、対処していく生き方でした。

例えば、嫌なことが起きたら、その感情に反応して、それを避けるために行動する。

でも、今は何か起きても起きなくても、「まず自分に戻る」という初動があります。

そのためか、感情や思考と同一化しないようになりました。

そして、自分の「在り方」ベースで決める。
起点が「在り方」になったというのが、とても大きな変化でした。

これまでとは、順番が真逆になったと言ってもいいかもしれません。

その「戻れる場所」はどこにあるのかというと、胸から溝落ちのあたり。
どっしりと、温かい広がりが胸にある感覚です。

何かが起きたとき、考える前に、そこに戻っていく。

それがだんだんと体に馴染んできました。

今は、戻れる場所が、体の感覚として残っている、というほうが近い気がします。

心が揺れなくなったわけではないんです

ちなみに、心が、まったく揺れなくなったわけではありません。

不安になることも、落ち込むことも、イラッとすることもあります。
人生のアップダウンの波みたいなものはもちろんあります。

でも、その度にまず自分に戻る。

以前は意識的に戻っていたものが、今は、無意識に戻れるようになりました。
戻るスピードも、ずいぶん早くなった感覚があります。

これも、急にそうなったわけではなく、反復があったからだと思います。

まとめ|もはや修行

振り返ってみると、この1年はもはや何かの修行だったんじゃないかと思うくらいです。

しんどい部分もあったけれど、その分得られたものが大きすぎました。

いつでも戻れる場所を自分の中に取り戻し、その場所に戻る練習を続けた一年だったのかもしれません。

来年は、その戻れる場所を持ったまま、「在り方」をベースに生きていけるような環境を、少しずつ整えていく年になりそうです。

また来年も、そんな一人間の試行錯誤の過程を、ここで綴っていけたらと思っています。

皆さんは、どんな1年でしたか?

次の一年も、皆さんにとって、無理のないペースで、自分と一緒に過ごせる時間になりますように。

本年も、ありがとうございました。
また来年も、よろしくお願いいたします。

それでは、また次回の記事でお会いしましょう🍵

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プロフィール写真

くりちゃん

ブログ・自己対話セッションサービス運営
神奈川県出身、現在は韓国在住。
ブログ「こころの時間」など月1~8回、更新しています。

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