みなさん、こんにちは〜🍵
最近、人生の浮き沈みで言ったら、「沈み」の部分にいる、くりちゃんです。(ドーン)
人生の危機!どん底!というわけではないのですが、最近ちょっと気分も落ち込んだりしていました。そんな、ちょっとしたモヤモヤを、いつものように自己対話でのぞいてみることにしました。
そうしたら、とあることに気づきまして。
それは、「もしかしたら私はこれまで、周りから見て“恥ずかしくない物語”を生きようとしてきたのかもしれない。」ということでした。
え?どんな物語?かと言いますと、他人に見られても恥ずかしくない人生。失敗したと思われない人生。「ちゃんとしている」と見える人生。です。
人は社会の中で生きている以上、誰の中にも多少はこういう側面があるんじゃないかなと思っています。なので、この選択自体が「間違っている」と言いたいわけではありません🌱
でもその「恥ずかしくない物語」に人生のハンドルを握られていたとしたら?
今回は、その気づきを、まだ整理し切れていない部分も含めて、そのまま置いてみようと思います。ひとりの人間の自己対話の記録として読んでみてください。
数年に一度、私は人生を変えていた

振り返ってみると、これまでの人生で、何度か繰り返していたパターンが見えてきました。
それは、「突然変わる人生の方向性」です。
誰にでも、転機って人生で何度かはあることだと思います。でも、私の場合「自分で決めて」方向転換をすることが、人よりも多かった気がしています。振り返ると、2~3年に一度訪れていました。
言葉を変えれば、「心機一転」「ピボット」「新しいことへの挑戦」。友達や家族に近況報告すると「え、そうなの!?」よく驚かれていました…笑
これまでは、自分の選択は自分の責任で、自分の意志でそういう選択をしてきたと思っていました。出会いや機会にも恵まれ、その生き方でうまくいっていましたし、そのおかげでできた素晴らしい経験もたくさんありました。
でも振り返ってみると、その選択の裏に、一つの共通したパターンが見えてきました。
自分の意志の奥にあった「恥ずかしくない物語」を守る重力

何かが上手くいかなくなったタイミング、失敗しそうなタイミング、詰んだ気がするタイミングで、これまでやってきたことを手放して、全く新しい挑戦を始める。全く違うキャリアを選んだり、全く違う土地に移ったり、目指していたことをやめて他のことを始めたりしていました。
もちろん選択の前には悩んだり、相談したり。熟考の結果「自分の意志で新しいことを選んできた」と思っていました。
でもよくよく考えてみると、やりたい気持ち、挑戦へのワクワク、現実的な判断以外にも「恥ずかしくない物語」を守ろうとしていた部分もあるのかもしれない。そう思ったのです。
社会的にちゃんとしている人=恥ずかしくない
そして、その奥には、”すごいね”と思われたい。社会的に”ちゃんとしている人”に見られたい。肩書きや年収というわかりやすい形で、自分の価値を証明したい。裏を返せば、「その生き方はアカン」「失敗だ」「やっぱりレール外れるとそうなるよね」と、他人に思われることへの怖さが、そこに隠れていました。要するに、人から見て「大丈夫」な人でいたい、という欲求です。
同じ「恥ずかしくない」でも、自分の信念(誠実でありたいなど)に対して恥ずかしくない人生と、他人の評価軸による恥ずかしくない人生は違いがありますよね。今回は後者のお話です。
もう少し奥を見ていくと、「他人に思われることへの怖さ」と言いましたが、これって実は自分自身の中にもある声なんですよね。他人の視線が怖いのは、他人がその物差しを持っているからというより、自分自身がまだその物差しを持ち合わせているからなのかもしれません。(正直、社会で生きている以上、完全に無くすのは難しいかもですよね)
突き詰めてみると、「社会的には失敗に”なるかもしれない”自分」を自分が受け入れたくなかったんですね。(実はまだ起きてないんですけどね)
厄介なのは、「純粋なやりたい」気持ちも、「他人に見せても恥ずかしくない人生を生きたい」という思いも、両方とも共存可能なことです。そこに「現実的には…」と思考も入ってきます。どれも本物に感じられるからこそ、自分でもなかなか見分けがつかないんですよね。
「辻褄合わせ」のループにハマっていく

無意識に他人軸の「恥ずかしくない物語」を生き始めると、だんだんと辻褄合わせが必要になってきます。それは現実での成果や他人の評価は、実際には自分でコントロールできない部分だからです。
人生には必ず浮き沈みがありますよね…!順調な時もあれば、うまくいかない時期や評価されない時期もあります。そこに「人生の沈み=失敗=自分の価値」という前提が重なると、「恥ずかしくない物語」の整合性が崩れそうになります。
そんな不安や焦りから、整合性を保とうと、何とかして物語を守ろうとする。私の場合、その一つが「新しい物語を用意する」ことでした。
人生が沈む
↓
物語が壊れそうになる
↓
新しい物語を用意する
↓
安心する・浮上する
↓
また人生が沈むと、同じことを繰り返す
人によっては、新しい物語を探すのではなく、今の物語を必死に守ろうとする人もいるかもしれません。
一度この「辻褄合わせ」のゲームに入ると、いつの間にか行動の基準が「本当にやりたいか」から、「物語として恥ずかしくないか」に置き換わってしまいます。
選んでいるようで、選ばされている感覚。
自分が人生のハンドルを握っているつもりでも、実は「恥ずかしくない物語」が運転席に座っている。そんな状態なのかもしれません。
「沈み=失敗」という前提を疑ってみる

ここで、改めて考えてみたいのは、こんなこと。
「人生の”沈み”の部分は、そもそも失敗なんだろうか?」
「失敗は、そもそも人生の”最終結果”なのだろうか?」
「何かの結果は、イコール自分の”存在価値”なのだろうか?」
みなさんはどう思いますか?(少し考えてみてくださいませ)
こうやって客観的に文字列で見てみると、おそらく「違うんじゃないかな?」「全部がそうじゃないんじゃないか?」と感じる方が多いのではないでしょうか。
それから改めて客観的にみてみると、「恥ずかしくない物語」を作ろうとする前提には、きっとこんなものがあったと思うんです。
- 人生の沈みや失敗は、良くないものだ
- 外側の成果や評価が、自分の価値を決める
これは、100%真実でしょうか?
誰が作った前提でしょうか?

そもそも「恥ずかしい」ってなんだろう?

ついでに、「恥ずかしさ」についても調べてみました。
簡単に言うと「恥ずかしい」という感覚は、「あるべき自己(理想や期待に対する自己イメージ)とのズレ」を知らせてくれるものだそうです。
それ自体は純粋な内側からのシグナルです。
そこに、前提を含んだ自分の判断が入ると「そんな自分を許せない」となり、行き過ぎると「自分という存在の危機」に直結するそう。
見えてきたパターンの構造

そんなこんなしていると、これまで起きていたことの構造が、なんとなく見えてきました。
無意識にある前提(沈みは良くないもの/成果が価値を決める)
↓ この前提が「あるべき自己イメージ」を作る
自己イメージ誕生(成果を出し続けている自分、沈んでいない自分)
↓ 自己イメージのために行動
人生が沈む時期に入る
↓ 自己イメージと現実の自分とズレが生じる
恥のシグナル発動(あるべき自己とのズレを知らせるサイン)
↓ 恥ずかしい or 恥ずかしく感じそうで不安・怖い
無意識に思考が評価・判断
↓ 前提がベースにあるので「そんな自分はアカン」になる
存在価値の危機
↓ 不安や恐れや焦りが強くなる
回避行動
え…改めて、人間て一体…。
これほぼ自動運転。
でも、これが仕様なんですよね。だからこそ、自分が持ってる「前提」て大事なんだなぁと改めて思います。
そんな私たちができるのは、まず「気づく」こと。
ヒントはいろいろあって、「感情」だったり「体の反応」だったり「パターンの発見」だったりします。

構造に気づいたら、どうしたらいい?

現在、絶賛「沈み」の時期にいる私ですが、いつの間にか昔のパターンに陥りそうになっていました。
でも、その構造に気づいた今の私にできることは、まず、今ある不安や焦りも一旦「そうだよね〜」と十分に感じてみます。
それから、そういう側面もある自分も、そのまま認めてあげます。
そのうえで、「沈みは良くないもの」「成果が価値を決める」という前提を、一旦解いて、良い悪いで判断せず、そのまま受け止めてみます。無理に前提の書き換えはする必要はありません。
イメージとしては、「”沈みは良くない”と感じる自分」と「”沈みも人生の自然な一部で、それでいい”と分かっている自分」を両方をどちらかに解消せずに保持し続ける感じ。
すると、世界の見え方が違っていることに気づきます。
こころは、少しやさしく、温かく、軽くなっています。
物語を握りしめる必要も、もうありません。
そこから、また歩き出します。

まとめ|自分の心地よい在り方に戻ってみる

ということで、ここまで「恥ずかしくない物語」を動かしていたものを分解して、構造的に見てきました。
多分自己イメージって、悟りでもしない限りなくならない気がします。そして、生きていると、あるべき自己イメージを選ばなきゃいけない時もあると思うんです。でも、それが大半を占めるようになると、しんどくなったり、自分がわからなくなるのかもしれません。
そんな時はまずは「今の自分の声」に気づいて、やさしい視線を向けてみる。それから、自分が心地よく自然でいられる在り方をベースに選んでみると、たとえ外側から見た時に、普通と違って見えたとしても、遠回りに見えたとしても、軽やかに、健やかに生きられるんじゃないかなぁと思います🌱
今回も、現実で起きたことに対する自分の反応から、とっても良い気づきを受け取ることができました。
それでは、今回もお読みいただきありがとうございました。
また次の記事でお会いしましょ〜🍵



記事を書いた人|くりちゃん
自己対話と自己受容をテーマにしたブログ・
セッション運営。
ブログに書いたことは、
大体後日自分にブーメランで返ってきます。
好きな食べ物はインドカレーです。


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