みなさん、こんにちは〜🍵
くりちゃんです。
この記事に辿り着いた方の中には、
「考えすぎじゃない?」「気にしすぎじゃない?」と言われて傷ついた経験はありませんか?
私はあります〜
「考えすぎ」と言われると、それが悪いことのように感じてしまうかもしれません。これ「考えすぎない」人からすると「もどかしい」「時間の無駄」「コスパ悪い」ように感じるんですよね多分。
が…どうしても考えてしまう!
もはや「考えること自体」が好きなのかもしれない。
でもなんでこんなに考えてしまうのか。
やめられないが、やめたい時もある。
実はこれ、意味づけする力が強く働くタイプだからなのかもしれません。
今回は、そんな「考えすぎる人」を、考えすぎる本人が「意味づけ」の視点から紐解いてみます。『考えすぎ』は、本当にやめたほうがいいものなのか。そして、なぜ私たちは、そこまで意味を見つけようとするのか。
そんなところを考えてみました。
みんな意味づけをしている

そもそも人間は、人生そのものにも意味を求めます。なぜ生きるのか、何のために生きるのか。答えのない問いにまで意味を見出そうとしてきました。
どうやら人間の脳は「次に何が起こるか予測する」ために発達してきた部分が大きいそうです。パターンを見つけて、次の展開を予測することで、危険にあらかじめ対処でき、生き残りやすくなる。もともとは生存本能なのかもしれません。
心理学では、「ナラティブ・アイデンティティ(自己物語)」という考え方があります。人生を過去から未来まで一貫した物語として捉えて、意味づけし、それにより自分を理解する自然な心の働きだそうです。
確かに意味づけは世界の無数の「よくわからないもの」に輪郭を与えて、「理解できた」「対処できる」というコントロールできる感覚を作る行為でもあるんですよね。確かに、「わかっている状態」ってなんか安心しませんか?
意味づけの根源にある欲求は、「本質を知りたい」そして「安心したい」なのかもしれません。
実は、考えすぎない人も、「気にしなくていい」「それはただの偶然」「考えなくていいもの」という意味づけをしています。そう捉えると、人によって意味づけの量や深さや方向性や頻度が違うだけなんですよね。
みんな自分に必要な意味付けしながらこの不確実な世界や人生を生きているわけです。

考えすぎる人に起きていること|意味を見つけないと気が済まない

では、「考えすぎる人」の中では、何が起きているのでしょうか?
人が考え続ける時って、「答えがまだ出ていない」時だと思うんですよね。それってまだ「意味」を見出せていない状態とも言えそうです。
ちょっと聞いてみたいのですが、みなさんは、意味を見出せないとスッキリしなかったり、意味を見出せないと動けなかったりすることありませんか?
もしあるのなら、「納得できる意味」「しっくりくる意味」「ワクワクする意味」をすごく大切にしている人かもしれません。

そしてその根底には、この世界や人生に「意味を感じたい」「意味を見出したい」「意味あることをしたい」強い気持ちがあるのかも。
また、ちょっと角度は違いますが「意味を理解する」こと自体に喜びを感じるという人もいるかもしれません。(私はこれもすごくあります)
この意味づけの力って、何かを探究したり、作品を作ったり、人の心を動かして、希望や気づきを与えたり、素晴らしいものだと思うんですよね。
とはいえ、意味づけの力が強いからこそ、考えすぎて苦しくなることもあります。そんな時に知っておきたいのが、『意味=事実ではない』ということです。
「意味=事実」ではない|意味は変わる・変えられる

「意味」って、自分の内側にある前提によって意外と簡単に書き変わります。
例えば、
- あの手続き大変だと思ってたけど、やってみたら思ったより簡単だった
- 理想的だと思っていた恋人が、何かのきっかけで違う人に思える
- 振り返ってみると、あの挫折が人生の素晴らしい転機だった
- 誰かの言葉がきっかけで、興味のなかった作品が急に輝いて見える
で、ここでのポイントは、「これだ!」と思う意味が、その時は「唯一の真実」に感じやすいことです。
そして、出来事そのものと、そこに付けた意味は実は別物です。一体ではありません。
意味づけは、私たちが持つ素晴らしい機能ですが、扱い方によって、妄想にも自己否定にも希望にも幸福にもなりうる。出来事や状態に付与した意味そのものが「絶対に信じるべきもの」というより、そのタイミングでの自分の色眼鏡が生み出した一つの解釈にすぎないんですよね。
なので、「これがオンリーワンの真実」ではなくて「今のところそう見えてる」「あとで違ったら普通に更新したらいい」くらいの温度感がちょうど良いのかもしれません。
そして、今自分がしている意味づけは、自身の「世界の見方」の写し鏡でもあるので、自分を知るきっかけにもなります。
「意味付け」と健やかに付き合うヒント

それでは日常を生きる中で、私たちは意味づけと、どう付き合ったら良いのでしょうか?
私個人としては、意味づけは無理にやめなくてもいいと思っています。ただ、苦しい時は外側から見たり、やわらげる方法を持っておくと、意味づけが暴走する時に飲み込まれにくくなります。
過去にヒントになる記事を書いていたので、リンクを貼っておきます。ぜひチェックしてみてください。
① 意味づけしている自分に気づく(メタ認知・内観)


② その意味づけを過去・現在・未来で分けて見てみる

③ どうしても辛いときは、意味づけと少し距離を置く時間を作る

④ 意味づけを誰かに話す・言葉にして外側から見てみる

私自身、自分を少し外側から眺めることで、かなり意味づけの暴走(具体的には、感情や思考に飲み込まれる)が穏やかになりました。
まとめ|考えすぎても、ええんやで
「考えること」「意味づけ」自体は、決して悪いものではないんですよね〜🌱
なぜなら私たちは、意味を見つけることで、世界を理解しようとしているからです。それは、人間として自然な営みです。
ただ、心に留めておきたいのは、その意味が唯一の真実とは限らないこと。
意味を見つける時は「今の私には、こう見えている」くらいの余白を残しておく。
考えすぎて苦しい時は、その「意味」が事実か疑ってみる。
そうすれば、考える力を持ったまま、意味に飲み込まれずにいられるのかもしれません。
それでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。
また次回の記事でお会いしましょ〜🍵
- 「考えすぎ」は、必ずしも悪いことではない
- 人はみんな、よくわからないものに意味づけしながら生きている
- 考えすぎる人は、「意味を見つけたい」という欲求が強いのかもしれない
- 意味づけの力は、探究や創造につながる強みでもある
- ただし、意味づけは「事実」や「唯一の真実」とは限らない
- 「今の私にはこう見えている」と余白を持つことで、考える力を活かしながら意味に飲み込まれにくくなる



記事を書いた人|くりちゃん
自己対話と自己受容をテーマにしたブログ・
セッション運営。
ブログに書いたことは、
大体後日自分にブーメランで返ってきます。
好きな食べ物はインドカレーです。


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